現地に行って歩行者の流れなんかを見ていた。今回の研究では、歩行者モデルについてい考えている。歩行者モデルってのは、その流れであったり、で、個人の行動まで考えているものってのは少ないというか、ない?どこからどういう風に歩行者が流れていって、その中で回避行動をおこない、どこかへいく。そこから得られるアウトプットってのは、歩行者の交通要領であったり。しかし、まぁ広場の設計なんかを考えるとき、どんなアウトプットがほしいのかって、そういうことよりも、その空間内でどのような活動が生起されるとか−これはイタリアに行ったときだが、広場で寝転がってる人や、食事してる人や、まぁいろいろな行動が行われていて、ただ単純にこの空間ってのはいいな、と−そういうのはその空間の質の高さを示していたり、そういう方向に広場ってのは持っていくのかな。利用する人がひとつの行動に縛られるんじゃなくて、なんか豊かな行動が生起される空間であってほしいと思うのだ。なに書いてんだろ。まぁいいや。研究に戻ると、行動の中でも少し、撮影、という行動に着目している。デジカメやカメラ付携帯電話の普及によって撮影っいう行為が、特別のことではなく、ごくごく当たり前の行動になった。こと、観光地に関してはより顕著であろう。果たして彼らはその目で見ているのか、レンズ越しに見ているのか、ちょっと不思議になるくらいである。とまぁ、撮影行動が行われる中で、歩行者の行動はそれに左右されはしないだろうか。撮影するために、構図を探して歩を進める。レンズをのぞきながら後ずさりし、横に移動し、ここだというところで撮影。撮影者だけ見ても、撮影という行為に、歩行者として、その動きが支配されていないだろうか。また、他者に関しても、撮影している人と、その対象と思われる間の空間に歩を進めるだろうか。たとえそこが目的地への最短経路だとしても、迂回していくのではないか。これって、歩行者の行動がモデルに組み込まれていない現在のものでは絶対に表現できないことだと思う。そんなのどうでもいいし、誤差項だろ、とか言われようが、面白そうと思うのが研究の本質であって、まぁそう思えているのだから、いいのだろう。